吟遊プログラマー

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とにかく嫌いな言葉たち

「と考えていて」「と思っていて」

ITやベンチャー系の人に多い。大体ただ文章をつなげているだけ。もっと簡潔に話せないのだろうか。

スピード感

スピード感とは「スピードをもって物事が進んでいる感じ」だと理解している。実際にそうなのかどうか、そうやる意思があるのか全く言及していない。 雰囲気が大事、雰囲気が好き、という、悪い意味での日本人らしさを感じる。 お願いだから実際にスピードを持ってやってほしい。「スピードを持ってやるつもり。その雰囲気は出しますよ。」ということ。 まあでも「スピード感」が登場するのは、プレゼンや記者会見など、自分を評価する相手にアピールする場面が多い。
となると、相手がスピードを「感じ」れば用法として問題はない。

お話し聞か「させ」てください、など

ぎりぎりまで音をそぎ落とし一音でも外した途端に優雅な雰囲気が台無しになる名曲、それが日本語だとした場合、これは最悪なところで音を外している。意図的に、確信犯として。テレビで言った人は二度と出てほしくない。もしこれでインタビューされても絶対話はしない。 敬語を間違うというのは、何重にも罪が重いのである。 心なく形だけで敬語を使っていることが即座にわかるから。例えそうでなくても、そう思われて仕方ない。

心が折れる

この言葉に値するレベルに達していないことが多い。一生に三回までにしてほしい。

良かったら

本来は気遣いの言葉であるが、何事も濫用すると擦り減る。
定型句として常用するような人は、かえって気遣いのなさを露呈している。
もし意識して多用している場合には、善意の暴力、あるいは極度の用心深さを感じる。
特に異性を誘うような場合などには、これは余計な枕詞にしか思えないが、怖い気持ちはわからなくもないので、一生に三回までなら許す。

学び、気づき

とても宗教的というか、自己啓発セミナーやスピリチュアルの匂いがする。
「学び」「気づき」と言っている人たちはそれまで何も学ばず気づかずに生きていたのか。
何か体験をして「学び/気づきを得られた」という表現が多いが、なぜ当たり前のことをわざわざ言葉にしなくてはいけないのか。
これは偏見だけど、マインドフルネスとかヨガにはまったり、「インドに行って人生観変わった」という人は同じ部類という気がする。